物事が、姿を現すのには時間がかかる。好き勝手にやっていたはずのサイクリングが縁で、いろんな人やいろんな土地に出会い、ある日突然、脈絡のなかった記憶や出来事の断片が磁力の下で文様を描き出す砂鉄のように、ひとつのフォルムやパターンに結集するような振る舞いを見せることがある。ことさら、スローサイクリングをやろう、スローに走ろう、と思って私は自転車を続けてきたのではなかった。ただ、脇道の魅力に抗いきれなかっただけだ。
(関連情報)
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箱根強羅温泉 季の湯 雪月花 - じゃらんnet
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街道筋を走りながらも、傍らの木立へと回り込む小道や、山裾に見える集落の中を行く道が気になって仕方がなかっただけだったのだ。おびただしい寄り道と遠回り。しかしそれはまた、自転車という、不自由さがあるがゆえに自由という矛盾した乗り物を愛するわれらサイクリストの性向の帰結でもある。無駄のないルート取りを常に考え続け、決して余分なことをしないかしこい人は、たぶん自転車には乗らないだろう。この地上で、少し遠くにいる誰かにとどくようにボールを投げようと思ったら、放物線という回り道を辿るほかはない。なぜならこの世界には重力があるからだ。それは遠回りのルートであるけれど、結局そこを通らざるをえない道であるからだ。その比喩が適当かどうか私には判別がつかない。ただ、こういうことは言えると思う。ゆっくり走ることは、ある意味とても簡単であると同時に、そうではない部分も含む。なるほど技術的、体力的には長距離を走るサイクリングや、峠を目指すツーリングより負担は少ないが、代わりに今日はこれだけ走ったぞと自慢できることもなくなるわけだし、ゆっくり走って視野が広がった分、知ること、気づくことも増える。スローサイクリングとは、つまり、そんな具合に、質的な愉しみに注目した自転車の遊びではないかと思う。もちろん、自転車を始めたばかりの初心者の方々が、より本格的なツーリングに至るまでの経験を積む道場のようなところと考えてくださっても、少しもおかしくない。しかし逆に、ベテランにも自転車の魅力の原点を再認識させてくれるものであると私は信じる。